第2回  右サイドの大ちゃん (2004年4月13日)
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石川選手
 「FW 石川 大」のデビュー。
 速く、力強く、気持ちがこもっていた。
(4月11日・栃木県グリーンスタジアム)
 「FWとしてプレーするのは初めてと言ってもいいくらい。いつもは右サイドの中盤ですから。緊張してしまって、思うようなプレーができませんでした」
 4月11日の第3節・ソニー仙台戦。初先発の石川大(だい)選手は、ポジションをFWと指示されて、びっくりした。しかし、高橋監督やコーチ陣から「思い切ってやってこい」と促され、無我夢中で栃木県グリーンスタジアムのピッチに立った。後半16分に高秀賢史選手と交代するまで、右サイドの高い位置でプレーした。冒頭の言葉は、試合後、筆者に語ってくれたものだ。
 昨年加入したが、ケガと体調不良でたった2試合の交代出場に終わった。今シーズンはコンディションを整えて迎えることができた。
 開幕戦の交代出場に続き、この日ついにスタメンに名を連ねた。慣れない3トップの一角。「守りに入った時に、後ろとの連係とか、戸惑いましたね」。しかし、松永、伊奈川や只木、堀田らとよく声をかけ合って動いた。前半5分には、伊奈川からパスを受けて深く切れ込み、角度のない所から強烈なシュートを放った。栃木が攻撃のリズムをつかむきっかけになってもおかしくない、ダイナミックなプレーだった。
 今季の石川には、頑張らなければならない特別な理由があった。それは、アテネ五輪出場を決めたU−23日本代表の選手たちの存在だ。かつて、自分がU−18日本代表候補になった時の、同世代の仲間たちなのだ。躍動するブルーのユニホームがまぶし過ぎた。
 石川は言う。「代表候補に選ばれたことで、満足してしまった自分がいました。その結果(が今の差)だと思うんです」
 名門・関西学院大を出て、Jに自分のフィールドを求めたがかなわなかった。もちろん、JFLの栃木SCに所属できた喜びは小さくない。かつて同じ土俵にいた仲間たちが世界にはばたこうとする今……。自分も頑張らなくてどうするんだ! 負けないぞ! もう一回ここからやり直すんだ! 石川は心の中で叫びながら、アンブロ社製JFL公式試合球を追っていたのだ。
 愛媛県新居浜市出身の22歳。故郷を遠く離れ、宇都宮で一人暮らしをしながら、栃木SCの一員として励む日々。「体はキレています。もっとチームに貢献したい。勝てない今こそ、みんなが一つにならなければ。栃木SCは絶対に強いチームなんです」。最後には「早く、監督やコーチが笑う顔、見たいです」と、なかなか憎いことを言った。
 今の自分は「低迷期」なのか「躍進期」なのか。その答は、JFLのフィールドで、石川自身が出していくしかない。


 ☆ 篠崎豊プロフィール
1956年、宇都宮市生まれ。記者歴27年。Jリーグ、JFLなどサッカー取材多数。読売クラブ時代からのヴェルディ・ファン。2004、05年に栃木SC写真展を開催。栃木よみうり前編集長。
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