第19回  暑い時には思い出せ (2004年7月13日)
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暑い時期は水分をしっかり補給して、いいプレーを頼むよ!
(FW若林)
 6月の栃木県内の夏日(最高気温25度以上)は25日と過去最高だったそうだ。栃木SCは4試合戦って3勝1分けの負けなし。暑い中で奮闘した選手たちの汗のたまものだった。7月に入って気温はさらに上がり、連日30度を超えている。7月4日の鳥取戦(松江)は35度。台風7号がもたらしたフェーン現象だったようだが、2−0で快勝し、JFL参戦後初の4連勝だ。11日の佐川急便東京戦は28度とやや下がった。栃木SCは茅島のPKを含む2ゴールでリードしたのに、4点を取られて逆転負けを喫した。5連勝ならず。YKK APも負けて、佐川東京、愛媛と4チームが勝ち点27で並んだ。次のホーム戦(対佐川大阪)頑張ろう!
 ところで、サッカーは、それだけでも体力的に過酷なスポーツなのに、暑さという敵とも戦わなければならない。暑さの話題ばかり続けるのは、佐川急便東京戦を見ていないからなのだが(参院選の日だったから)、気温が高いこの時期に書いておきたいことがあるからだ。
 今から10年前の94年アメリカ・ワールドカップ。日本が「ドーハの悲劇」によってW杯初出場を逃したあの大会は「暑さの中での戦いだったなぁ」という印象を持っている。あれほどの猛暑の下で繰り広げられたW杯はかつてなかったのではないだろうか。キックオフ時に35度とか40度という試合はざらだった。その炎天下で演じられた世界最高のプレーの数々。限界を超えても勝利へのチャレンジを繰り返した男たち。こんな信じられないようなスペクタクルが、この地上にあったのかと、震えるような気持ちでテレビにかじりついたことを思い出す。ブルガリアのストイチコフ、ルーマニアのハジ、イタリアのバッジオやバレージ、ブラジルのドゥンガやロマーリオ……。みんな、酷暑をモノともせず、ただひたむきにボールを追い、ピッチを走りまくった。
 私はアメリカW杯を見て以来、どんな猛暑でも「暑い」と口にしないように心がけている。あの選手たちに比べれば、自分などどうってことないじゃないか、と思うのだ。気持ちを切り替えると、35度くらい、本当にどうってことなくなるから不思議だ。実際、気温40度超の東南アジアでも、カメラの重い機材をかついで、平気で動き回ることができた。
 いつも冷房が効いたオフィスにいる身でこんなことを書いても説得力に欠けるが、例えば真夏の炎天下、栃木SCの選手たちをカメラの望遠レンズで追いながら、私は心の中でつぶやいている。「このくらいの暑さ、ピッチを走り回っているキミらに比べれば、座ってるだけのオレなんぞ、楽なもんだよ。ところでキミたち、アメリカワールドカップを覚えているかい? 暑くたって、へこたれなかったスゴイ選手たちのことを。W杯だろうがJFLだろうが、サッカーはサッカーだよ。ちゃんと水飲んで、さあ次だ! 次!」

 ☆ 篠崎豊プロフィール
1956年、宇都宮市生まれ。記者歴27年。Jリーグ、JFLなどサッカー取材多数。読売クラブ時代からのヴェルディ・ファン。2004、05年に栃木SC写真展を開催。栃木よみうり前編集長。
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