第23回  河口明の決断 (2004年8月25日)
第22回<< >>第24回

青いユニホームに身を包んだ河口明に後悔はない
(8月22日・栃木県グリーンスタジアムで)
 天皇杯出場をかけた栃木トヨタカップの1回戦(8月22日、栃木県グリーンスタジアム)。その第2試合で、関東リーグの日立栃木と対戦したFC真岡21のイレブンの中に、青いユニホームに身を包んで、精悍な男の姿があった。河口明、27歳。つい1週間前まで栃木SCに所属していたミッドフィルダーだ。立命館大を卒業し、故郷に戻って、JFL1年目の栃木SCに入団した。リーグ公式戦4年間で61試合4得点。栃木SCの歴史的初勝利をもたらした鮮烈な同点シュートが記憶に残る。ホーム初ゴールもその右足だった。スピードとガッツにあふれるプレーヤーだ。
 河口は今春、勤める会社で総務課に配属になった。多忙な職場は帰りが遅くなることもしばしば。夜7時からの練習に参加できなくなっていた。レギュラー定着が今季の目標だった河口は悩んだ。仕事とサッカーの両立。JFLの多くの選手が抱えるジレンマが、より大きな現実問題となって自らに降りかかってきた。チームが好調だった6月ごろ、河口は高橋監督に、退団も含めた身の振り方を相談した。監督は、副主将を任せるほど信頼する河口を手放したくなかった。しかし練習に参加できない選手を試合で使うわけにはいかない。よしんば練習不足を努力で克服したとして、同じポジションには、真岡高の先輩でチームの大黒柱の只木主将がいる。相談と話し合いは2か月に及んだ。
 地元のFC真岡21(栃木県社会人1部)が北山杯県社会人サッカー大会で初優勝し注目を集めたのは、河口の心が揺れていた、 ちょうどその時期だった。「このチームに出合った時、気持ちが切り替わりました。荒削りだけど、将来性がある」。飯島定幸監督(静岡国体優勝ヘッドコーチ)とも話した。
JFL初勝利をもたらした河口の同点シュートは栃木SCの歴史に1ページを加えた
(2000年5月6日・東京西が丘サッカー場の横河FC戦)
監督は言った。「キミの経験を若いチームに伝えてくれないか」
 8月になって、河口は移籍を決断した。「仕事が最優先だが、サッカーは続ける」
 移籍後初の公式戦出場となった栃木トヨタカップは完敗で、一発退場まで食らったが、河口の表情は晴れやかだった。活躍の場を求めたというよりは、栃木県サッカーの底辺拡大のために力になりたいと思っての決断だったからだ。飯島監督は「まだ周りが河口について行けないし、河口自身もJFLとのギャップを感じている。でも、これからです」と熱いまなざしを送る。
 県内リーグの活性化は、トップチームの栃木SCにより一層のレベルアップを促す。栃木SCを離れた炎のプレーヤー、河口明は今後、土ぼこりにまみれながら、その推進役の一人になるだろう。

 ☆ 篠崎豊プロフィール
1956年、宇都宮市生まれ。記者歴27年。Jリーグ、JFLなどサッカー取材多数。読売クラブ時代からのヴェルディ・ファン。2004、05年に栃木SC写真展を開催。栃木よみうり前編集長。
第22回<<>>第24回

 
Copyright © since 2005 TOCHIGI SOCCER CLUB.
caters