第25回  帰ってきた高井剛 (2004年9月1日)
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約1年10か月ぶりに公式戦のピッチに入る高井
(8月29日・栃木県グリーンスタジアムで)
 8月29日の栃木トヨタカップ準決勝第1試合。いつものように、キックオフ30分くらい前に会場入りした私は、報道受付でもらった試合メンバー表の栃木SC交代要員の中に「高井剛」の名を見つけて胸が震えた。あの剛(ごう)が、ついに帰ってきた。もうそれだけで、うれしかった。
 試合は矢板中央高が相手。2−0とリードした55分、高井はこの日2得点のFW中村吉克に代わってピッチに入った。約1年10か月ぶりの公式戦復帰。JFLリーグ戦の愛媛戦が前夜にアウェーであったので、主力組がいない、いわゆる留守組だったが、高井は1人目の交代選手として投入されたのだ。
 ピッチでは、3バックから4バックへの指示はなかったものの、反撃を狙って3トップになった相手のFWの一人が右サイドに張ったので、そこをマークする位置取りとなり、見かけ上、4バックの左サイドバックに入った形となった。そこは高井の本来のポジションだ。大きなケガをしてやっと現場に復帰した選手は、まず自分の居場所を確認しようとする。まさにこの日の高井がそうだった。
 もちろん、首脳陣が望んだ位置ではなかったし、リーダーの堀田からも「もっと高い位置」を指示されたが、相手の攻撃に対する守備の形は体が覚えているものだ。しばらくぶりの芝のフィールドは、高井にとっては自分のサッカー人生をもう一度やり直すための、慎重な一歩だったのだ。
 高井は、栃木SCがJFLに参入した初年度に、セレクションで新加入した助っ人第一期生8人のうちの、最後に残った一人。石田前監督が採った4バックの左サイドバックとして攻守に活躍。リーグ戦52試合に出場し3得点。3年前には小山南高の教え子たちも引き連れてブラジルに1か月間、武者修行した。一昨年のシーズンには、その経験を生かしてダイナミックなプレーを見せた。ところがその最終戦。右ヒザ前十字じん帯損傷という大ケガに見舞われた。手術したが、その後、今度は半月板を損傷し2度目の手術。つらいリハビリに耐えながらも「もうダメかもしれない」と思った。「でもこの間に、ケガをしている人の気持ちが分かったですよ」。高井はピッチの外で一回り大人になった。
 この日まで、本当に長かった。今でも正座できない状態だ。しかし、ついに公式戦のピッチに立てたのだ。見守ってくれた首脳陣への感謝の気持ちを抱きながらも「3バックでは自分のポジションがない、というのではもう通用しない。3バックの左でも、もっと前でもこなせるように努力しないと」。心機一転の28歳は、さらなる進化を目指す。国分寺養護学校の教諭を勤めている高井は、そんな自分の姿を見せることで、少しでも子供たちの励みになりたいとも思っている。新しい力の台頭が著しい栃木SCの中にあって、左サイドの貴重な戦力となる高井の、次はJFLでの復帰をファンの多くが熱望している。

 ☆ 篠崎豊プロフィール
1956年、宇都宮市生まれ。記者歴27年。Jリーグ、JFLなどサッカー取材多数。読売クラブ時代からのヴェルディ・ファン。2004、05年に栃木SC写真展を開催。栃木よみうり前編集長。
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